子供と大人の境界線

先日、ある飲み屋で飲んでいた時のこと。

一人の客が犬を2匹連れてきていた。

50代ぐらいのおばさんで、いかにも教育ママという感じだった。

その2匹の犬に英語を教えたとか、餌は何時に何グラム与えるとか、何時になったら寝んクックの時間だとか、得意げに話していた。

 

私は、そういう人種を子供の頃から毛嫌いしていたし(よくいる女の先生や、読み聞かせをしに来るおばさん)、そんな親に育てられる子供はたまったものじゃないな、と思っていた。

そういう価値観の人間は自分が正しいと思っていて、いつでも上から目線でルールを与えて、守れば良い子、守らなければ悪い子、として教育しようとする。

つまりはエゴの塊なのだが、1番厄介なのは自分が正しいことをしていると本気で思い込んでいる所だ。

子供と大人の境界線

自分が子供の頃、自分は大人だと思っていた。

26歳になった今、小学生を見るとつい「まだ正しい判断のできない子供」だと見てしまいそうになるのだが、よく考えれば自分は小学生の頃からしっかりと世界を見ていた。

そして、その目は大人とか子供とかの概念を超えて、一人の人間としての目だった。

だから未だに自分が大人になった感覚もないし、子供だった感覚もない。

そこに境界線なんてものはないのだ。

子供は子供なりにちゃんと世界を認識して、考えて、生きている。

そこに敬意を払うのは人間として当然のことだと思う。

未熟な大人へのやるせなさ

そういうババアに遭遇した時、昔は単に毛嫌いしていた。

でも最近はこう思う。

「この人が自分の姉だったら、良い所を見つけることが出来るのだろうか。」

どんなに未熟な人間でも、血の繋がりがあれば多少は「しょうがねぇな」ってゆう情のようなものが残ると思う。

このババアにも、そんな可愛げを見出して愛することが出来るのだろうか。

例えば、犬が吠えているのを叱っている途中で、水をあげる時間だったことを思い出して謝っている姿を見た時とかに。

 

そんなことを考えて「他人で良かった」と思った。

もし自分が今子供だったら、こんな根性を持った大人に傷つけられていたと思う。

やり返す術も、言葉も持たない子供はグレることしかできない。

でも今自分は大人だから、こんなババアからは何も傷つけられない。

大人って思われるのって良いな、と思った。

 

もし自分がこれから子供と触れ合う時は「大人って良いな」と思われたい。

早く大人になれば、理不尽な大人に傷つけられることなんてないんだ。

子供が子供であることを主張するのはせいぜいお年玉をもらう時だけでいい。

 

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