【寂しさについての考察】孤独の対処法

人が生きていれば必ず感じる感情である寂しさ。

個を重んじる時代においてはとりわけ孤独や寂しさが大きなテーマとなる。

寂しさは悪なのか。

感じない方がいい感情なのか。

どんなに仲良しの友達や恋人といても、ふと襲ってくる寂しさというやつについて考察したい。

寂しさとは

【寂しさ】と一言で言っても色々な種類の寂しさがある。

・楽しい時間が終わってしまった時の寂しさ

・一人でいる時の寂しさ

・秋の訪れと共にふと感じる寂しさ

・集団の中にいる時不意に襲ってくる寂しさ

・ボッチ飯を食べる時の寂しさ

寂しさというやつは感情の名称であり、その背後には様々な状況や心理がある。

時には寂しいという感情で、その奥にある本質的な問題を隠している場合もある。

悲しみの表現が怒りとして現れることがあるように、寂しさは一つの感情表現でしかない。

原色の孤独

そんな寂しさを一つずつ剥がしていくと、奥にあるのが根源的な寂しさだと思う。

子供の頃、母親と自分が違う存在であることを受け入れなければいけなかった時に猛烈に感じた寂しさ。

人間は社会的な生き物であるから、どんなに一緒にいたくても必ず離れなければならないことを受け入れさせられる。

この根源的な傷は誰もが抱いていると思う。

致し方ないものだし、それを受け入れることから人生は始まる。

その諦めは不思議と寂しさを忘れさせる。

保育園に預けて去っていった母親に怒りと悲しみをぶつけられなかったやるせなさを諦めて、オモチャの線路を繋げることや、泥の団子を量産することに価値を見出して夢中になっている時、「どうだ」という勝ち誇った気持ちになった。

これが精神的自立への第一歩なのかもしれない。

だけど人が精神的自立を完全に達成することは難しい。

次の日にはまた寂しくなって、何か夢中になれるものを見つけて、の繰り返しだと思うし、それでいいと思う。

感情は操るもの

感情とは瞬間的な、衝動的なものだ。

それは抗い難く、しかしずっとは続かない。

だから感情を操ることが上手くなれば得だと思う。

 

どうしようもない寂しさを感じた時は、その内側にある自分の心を受け入れた上で諦めると楽になるし、楽になった後には【寂しさ】という感情が転換されて【エネルギー】になる。

※おそらく全ての感情はエネルギーであるから、これは悲しみや怒りにも使うことができる。

このエネルギーを今自分がやるべきことに注ぎ込む。

こうすると、マイナスな感情もプラスなエネルギーに変わり、自分も楽になる。

まとめ

おそらく元は感情もエネルギーであってプラスもマイナスもないのだと思う。

ただ、そこに方向性を与えることで人生を有意義に進めることができる。

だから、寂しさをなくすことは不可能だし、なくす必要は全然なくて、ただ理性でそこに方向性を与えればいいのだと思う。