私は結構たくさんのバイトをしてきましたが、どれも長く続きません。
でもお金がないから働かなければいけない。
なぜお金が必要なのか?
と、色々考えていくうちに経済学に興味を持ちました。
経済学なんて、金儲けしか考えてない輩のものだと思っていたのですが、違いました。
経済学はとても面白い学問です。
まさに今生きている時代と向き合うには必要不可欠だと思いました。
何を選択し、何を捨てるのか。それが経済
何かを選択しているということは、それ以外のことを捨てていることになります。
これはミニマリストの考え方に似ていると思いました。
経済学ではこのことを機会費用と言います。
何かを選択することによって、別の貴重なチャンス、すなわち機会を捨てている、その費用を払っている、こういう考え方もできるのです。
例えば友達と会うという行為も、そのために時間やお金など何かを捨てているのです。
だからこそ、そうしてでも会いたい人としか私は会いません。なんとなく断れないという考え方は有り得なくなりました。LINEのメッセージすら、興味のない相手や内容のないものはシカトします。
この考え方はケチとは違うと思います。
ようは、大切なものを大切にしたいからそうするのです。
そこまで大切でないものを守ろうとすれば本当に大切なものが守れなくなります。
でも価値観はそれぞれ違います。だからこそ自分は何が大切なのか見極める目を持つ必要があります。
経済を学ぶということは、生き方を考えることでもあります。
労働とは何か
みんなになぜ働くのかと聞けば生きるため、生活のためと返ってきますね。
労働者から見れば、生活するために働く、働けばお金がもらえるし、子供も育てられるし、欲しいものが買えると考えますね。
けれども資本家からすれば賃金=労働の再生産費です。
つまり労働力を再生産するために必要な費用です(食費や家賃や生活費や子供の養育費など)。
ということは自分の生活スタイルは労働力として最も効率よく利益を出すために作られています。
なんで雨の日に外に出なきゃいけないの?と真剣に考えたことがあります。
普通嫌です。だけど利益を出す為には天気など関係なく富を生み出す必要があります。
そこに気分など関係ないのです。
でも人間だから雨の日に働きたくない!!!と泣き叫んで布団から出ない日があるのは当然です。私はそう思います。
そんな当然のことが出来ないなら生きていたくなんかないさ!と思います。
なんで人間が幸せになる為にあるはずの経済活動が人間を苦しめるのか。
利潤の追求以前に人間としての感情を優先すべきではないのか。
そんなことをしたらお医者さんもいなくなって大変なことになってしまうと言う人がいるかもしれない。
でもきっとお医者さんはお金のためにやっているのでも、仕事だから仕方なくやっているのでもなく、人のためにやっているのです。
その人を助けたいと思ったから。その感情が雨の日の憂鬱に打ち勝つから治療をしてくれる。
与えられた才能と技術に誇りを持ち、人のために生きる姿こそ目指すところだとおもいます。
そんな社会のあり方が理想ですね。
だから私はみんながもっと好き勝手に生きればいいと思います。
好きだからやる。そうして生まれたものが誰かを幸せに出来たらそんなに嬉しいことはない。
そういう原理で世界が動けばいいのに。