人生が虚しいという気持ちについて考えて出た結論

食べ物も、家も、服も、ケータイも、パソコンも、何もかもを持っているのに、虚しい。

ただただ日常が虚しさで溢れている。

必死に虚しさを紛らわし、恋愛や、運命や、宿命や、夢や、生き甲斐を追い求めてがむしゃらに突き進んできた。

そしてふと空白の時間に取り残された時、虚しさはもっと濃度を増して襲いかかってくる。

虚しさは、今多くの人が抱えていると思う。

いつから虚しい気持ちに押し潰されそうになったのだろう?

そんなことを考えると、覚えていないけれど、少なくとも一人暮らしをしてから、東京に出てから、虚しさはより一層際立ったように思う。

たまに実家に帰ると虚しさを感じることはない。

家族という共同体の中に浸かっている時、自分が何者かなんてことは考えもしない。

一人暮らしのマンションに帰り、一人でご飯を食べ、一人で眠る。

そんな毎日の中で、ある日気づくと不安や孤独に取り囲まれてしまう。

では虚しさは東京での暮らしや、一人暮らしのせいなのだろうか。

そもそも虚しいとは

虚しいとは虚無感だ。

虚無、何もない、空っぽなこと。

それは真実かもしれない。

どんなものを手に入れても、誰といても、幸せであっても、きっと人間は虚しさを感じる生き物なのだろう。

今までは、現代の社会や、暮らしのせいだと思っていたけど、きっとこの虚しいという感情は普遍的なものなのだと思う。

松尾芭蕉とかもきっと虚しいと感じていたに違いない。

どんな大金持ちも、どんなに友達多いやつも、どんな有名人も、みんな虚しいに決まっている。

西郷隆盛だって虚しさに涙した日があるはずだ。

虚しいって問題じゃなくてデフォ?

ここまで書いて気づいたけど、虚しいってたぶん問題ではない。

真実であり、現実だ。

虚しいのは何か原因があって、良くないことみたいに思って苛まれていたけど、よくよく考えたらそれ当たり前の感情なのではと思った。

人間は自分のこととなるととかく大袈裟に感じやすい。

恋愛も、病気も、自分の出来事となると世界的大問題のような気がしてしまう。

けど、意外と普遍的な問題であり、普通の感情だったりする。

なんだ、解決なんてしなくていいのか

と思ったら少し楽になった。

虚しくて虚しくて泣き叫びたいような気持ち。

それは生きてるってこと。

なんの問題もないし、解決なんてしなくていい。

そのままでいい。

そう気づいたらまた元気に遊べそうな気がしてきた。