アイデンティティクライシスとは、自分が何者なのかが分からない状態である。若者に多くみられる自己同一性の喪失で、精神的な危機状態となる。モラトリアムとも言う。
私は長い間この状態に苦しんできた。
子供の頃から自分が何者か分からず、名前以外に自分を説明する術を持たなかった。
もくじ
曖昧にその空間に溶け込んでしまう
生まれつきのエンパス体質も相まって、私はいつも自分という感覚を持たなかった。
相手が感じている感情がまるで自分の感情のように感じられる。
だから食べたいものも、好きなものも、一緒にいる人の感情と一体化してしまうのだ。
自分が霧になって空間全体に拡散していくような感覚に陥ることが多くあるが、まるで風船のようにどこまでも浮遊していく感覚は恐怖そのものである。
そのため、多くの時間を一人で過ごす。
情報を意識的に遮断しなければ壊れてしまいそうになるからだ。
何者にもならなくていい
アイデンティティが拡散したまま生きることはとんでもなく難しい。
過去、現在、未来が全く一貫していないのだから、自分らしい生き方など何も選べなくなってしまう。
人生がいつも途切れ途切れで、一寸先は闇という感じだ。
この恐怖から逃れるため、私はあらゆる手を尽くした。
一人の人格を作り出し、外見や性格を全て演じたりもした。
けれども、途中で不都合が生じるたびに新しい人格を作る必要が生じて多くの人格が出来すぎた結果、多重人格のようになってしまった。
コントロールが効かなくなった人格だけが入れ替わり出現してくる恐怖に襲われた。
「自分は何者なのか」そんなことを考えるのは辞めにしようと思った。
今この瞬間が全て
それからは自分が何者なのか、過去、現在、未来を一本の直線で繋ぐことを辞めた。
今感じるものが全てであり、自分なんてものは無くていいんだ。
曼荼羅に描かれた世界のような感じで、自分という中心はどこまでも広がっているのだと思う。
私はあなたで、あなたは私である。
星や月を見た時、自分は星であり、月であるのだ。
この一体感がアニミズムの世界なのかも知れない。
近代社会は自我を明確に持って主張して勝ち取っていかなければ生きていけないような世界だけれども、その世界観が構築されたのは本当に最近のことで、それは人間にとって自然な状態ではないのだと思う。
そんな訳で私は近代的な世界観に侵された自分探しなどというものを辞めた。
自我なんてなくていい。
今この瞬間に感じたものだけがリアルな世界なんだ。