「忘れられた人々」貧困に苦しみながらも生きる儚く美しい人間の姿

「アンダルシアの犬」など前衛映画作家として知られたルイス・ブニュエルが一九五〇年に監督したメキシコ映画で、悪に染まった少年たちの生態を描いたもの。製作はオスカル・ダンシヘルス、脚本はブニュエル監督とルイス・アルコリサの共同。撮影は「真珠」のガブリエル・フィゲロアの担当。出演者はエステラ・インダ、アルフォンソ・メヒア、ロベルト・コボらである。

あらすじ

 ニューヨーク、ロンドン、パリの景観をバックに、解説者の声で、これら大都市では少年の非行が深刻な社会問題となっており、近代都市を自負するメキシコシティでも例外ではないことが語られる。
舞台はメキシコシティのスラム街。貧しい少年たちが喜々として闘牛遊びをしている。自分たちのリーダーであるハイボ(ロベルト・コボ)が最近、感化院を脱走したという噂をしていると、やがて彼が現れる。ハイボは、感化院でうまくやってゆく方法を得々と披露しながら、これからは自分の指揮の下、お金をかせぐ術を教えてやると語る。まず手始めに、盲目の大道芸人の頭陀袋を剃刀の刃で切り裂き金を盗む。だが盲人が棒で抵抗したために少年たちは傷を負い、その腹いせに仕事から戻る盲人を待ち伏せ、彼に暴力を振るう。
不良仲間の一人であるペドロ(アルフォンソ・メヒア)は、まだそれほど悪に染まっておらず、母親(エステラ・インダ)に邪険にされるのを悲しむ子供である。家には幼い弟妹がいて、ペドロが働かないと母から食べ物をもらえない。もうひとりの遊び仲間のフリアン(ハビエル・アメスクア)は、酔いどれた父親の面倒をよくみる孝行息子。だが、ハイボは自分が感化院に入れられたのは、フリアンの密告のせいだと思い込み、ペドロを使って彼を呼び出し、殴り殺す。
その夜、ペドロは夢を見る。夢にはフリアンの死体、白い鳩、やさしい母親から受け取った肉を奪おうとするハイボが出てくる。
ペドロは夢で母に誓った通り、真面目に働くことを決心し鍛冶屋に就職する。ところがある日、ハイボが鍛冶屋に現れ、こっそり製品の中からナイフを盗む。窃盗の罪をきせられたペドロは、代わりに感化院に入れられてしまう。
無実のペドロは反抗的な態度をとるが、進歩的な院長は彼を信頼して外部へ使いに出す。真面目に任務を果たそうとするペドロだが、運悪くハイボに会ってしまい、院長から預かったお金をまんまと盗まれてしまう。逃げ去るハイボを追いかけたペドロは、ついに仲間たちの前でフリアン殺しの犯人はハイボだと明かしてしまう。慌てて逃げ出したハイボは、メチェ(アルマ・デリア・フェンテス)の家の納屋に逃げ込む。ペドロは、仲間を頼って盲目の老人(ミゲル・インクラン)のいる納屋に向かうが、老人に見つかり、ハイボがいるとも知らずメチェの家へ向かう。そこで出くわした二人は喧嘩になり、ついにペドロはハイボに殺される。物音に気づいたメチェ(アルマ・デリア・フェンテス)と祖父は納屋に行き、事件の巻き添えを食わないようにペドロの死体を騾馬に乗せる。途中、ペドロを探す母親とすれ違いながらも彼らは何事もなかったように死体をゴミ捨て場にころがす。
ペドロを殺したハイボも、逃走中、警察に射殺される。

貧困や格差社会、人間について深く考えさせられる

この映画に絶えず付きまとっているのが貧困だ。

それが暴力、盗み、悪徳へと繋がり、その連鎖は親から子へ、そして街全体へと広がっていく。

不良の典型のようなハイボは仲間や、周りの人を次々と傷つけ堕落させていくが、ハイボが悪い奴だ、では済まされない問題があり、それは今なお現実的な問題として立ち現れてくる。

この映画の中には、悪人も善人もいない。

みんながそれぞれの過酷な運命を背負った人間である。

シリアスなテーマを扱った映画だが、ただただ残酷であるだけでなく、どことなく儚く美しい人間の姿を映し出している。