ミニマリストという宗教へようこそ


私はここ数年、ミニマリストになろうとしていた。

きっかけは、鬱で無気力状態の時にたまたま見つけたミニマリストのスッキリとした部屋の画像を見つけたことだ。

「こんな部屋にしたい」一瞬で惹かれた。

物がごちゃごちゃとしていた私の部屋が、こんなに綺麗になったらどんなに良い気分だろう?と思った。

ミニマリストの本を読み漁り、画像を集めて断捨離を始めた。

人生の目標を失い、無気力状態だった私は少しだけ活力を取り戻した。

ミニマリストになれば、部屋が綺麗になって、過去の自分と決別し、新しい自分になれると思い込んだのだ。

常に求める新しい自分

物を捨てる上で、基準になるのは「ワクワクするかどうか」という点らしい。

古いものには、過去の自分の波動が宿り、陰の気が宿るらしい。

そんなことを調べ、過去の自分を殺すように昔の波動とやらを敵視した。

過去の友達と会えば、過去の憎らしい、陰気を帯びた自分に戻ってしまうような気がした。

古いもの、過去、思い出を悪とし、新しい、未来の、新鮮な自分像を描き続けた。


ミニマリストに終わりはなかった。

物を買うと新鮮な気分になったが、すぐに「これは使っているだろうか?」「本当は不要なものを買ってしまったのだろうか?」と、不安になった。

すぐに売り飛ばしては、もっと必要なものを買わなくてはと思った。

少しでも髪が伸びると、切らなければと美容院へ駆け込むようになった。

古いものが怖かった。

1秒前の自分は古かった。

次々と物を買い換えたい欲望に駆られた。

過去の自分は悪だった。

前へ、常に前へ進まねばならなかった。

生きるための信仰


人生には、いつだって信仰が必要だった。

子供の頃は母親、物心つくとバレエにおける美の概念、そして私は美大へ行き、永遠に答えのない芸術のための芸術という宗教に入門した。

そこは宇宙のように広大で、上も下もない、善も悪もない世界だった。

前にも後ろにも進めない無重力空間の、圧倒的自由の牢獄。

自由という牢獄の中で無気力状態に陥った私は、ミニマリストという宗教に惹かれ、そしてまた終わりのない信仰に支配された。

誰が救ってくれるというのだろう?

この、神のいなくなった広大な宇宙の中で、無意味なダンスを踊り続ける。

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