【語彙力の重要性】ボキャ貧だとやりたいことがわからない?

やりたいことで生きていく

好きなことを仕事にしよう

世の中がこのような言葉で溢れてきた。

私ももうずっと「やりたいこと」「天職」を見つけることに躍起になっていた。

知識がない=思考することができない

私はよく物思いに耽るのが好きで、子供の頃から世界について、人生について、人間について考えていた。

けど、いつも考えることに限界があった。

小学生の頃は特にイライラしていた。

物事を掘りすすめて考えることが絶望的に困難だったからだ。

歴史、社会、哲学、理科、数学、など余りに知識が少なすぎて、すぐに「わからなく」なった。

このことを知りたいのに!考えることもできない!何を考えればいいかすらわからない!

そう、いつもイライラしていた。


大学生になった今では、少しそのイライラが解消されたが、まだイライラすることは多い。

本を読んでは立ち止まって考える。

文章にしながら考えることも多い。

今思えば、小学生のイライラしていた自分がものすごく哀れになる。

今の自分ならそのイライラを説明できるのに!


だから、いつだって私は過去に戻りたいとは思わないどころか、あの頃のイライラを味わいたくはない。

「絶対に変だ」「何かおかしい」「違和感がある」

そんな感情を言葉で理解できないから説明もできず、解消できなくて苦しかった。

感情を代弁する代替品


そんな時に役立ったのは音楽だった。

言語化できない感情を代わりに浄化してくれた。

だからいつも言葉にならない感情を代弁してくれる雰囲気の音楽を探しては聴いていた。

でもそれはいつだって、借り物の、誰かに充てがわれた代替品だった。

似ているけど、それじゃなかった。


自分にとって感覚を表現できない状態は、言葉を話せない赤ちゃんが泣き叫ぶような感じだ。

無力感と絶望感に苛まれる。


そんな中、言語を知ることは自分を楽にしてくれた。

今では少しのイライラは言語化して解消できる。

でもたまにそれでも解消できない時がある。

そんな時は絵を描く。

絵は、自分にとって武器だ。

表現できない感情を感じた時はいつも絵に頼る。


ここまできて気づいた。

自分のやりたいことは「訳の分からない感情をアウトプットすること」だ、と。

認識を破壊して世界を再構築したい。

けど、もしこの記事を書く語彙力がなかったら、自分はまだやりたいことを探していたのかもしれない。

ボキャ貧は切ないことだと思う。

やりたいことを探すよりも、感情を表現する語彙を獲得した方が近道のような気がする。

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