【年寄りについての考察】精神的な豊かさとは

私は子供の頃から年寄りの世界観が好きだった。

子供も大人も、学校やら仕事やらといった社会的義務に振り回されて忙しくしている中、年寄りと言えば、朝早く起きて何をするでもなくホームセンターに行ったり、スーパーに行ったりする。

一仕事終えたような顔をしながら昼飯を食べ、3時にはお茶と菓子を食べながらストーブにあたっている。

チラシを見ながら、特に必要もない家電や特売品を見つけては買いに行き、その他宝くじなどに年金の多くを費やす。

4時には水戸黄門を見て、5時になると風呂の準備を始め、5時50分からニュースを見て風呂に入る。

6時過ぎには夕飯を食べ、布団を敷いて寝てしまう。

特に何もすることがないのに、誰にも責められることなく、平然と同じルーティーンを過ごしている。

子供の頃の私はその平然さに驚かされていた。

年寄りは半分あの世に片足を突っ込んでいるからか、何かを超越したものと繋がっているように見えて仕方なかった。

そのリズムが好きだった。

猫にもそのリズムがある。

人間の本来の姿は、そのように無意味で、しかし自然の中に溶け込んだものではないだろうか、とよく思ったものだ。

私は特に年寄りっ子だったため、祖父母と一緒の部屋で寝て過ごしていた。

年寄りの観察をするのは子供ながらに面白かった。

葬式慣れ

さらに驚くのは年寄りの葬式慣れだ。

私の祖父は月に3回葬式があったことがある。

特に動揺した様子もなく「〇〇が亡くなったか。」と、平然と儀式に向けた準備をする。

線香の匂いを纏いながら塩を振ってくれと頼むだけである。

死というものに境目がないように見えた。

香典でお金がないと嘆いているくらいだ。

テレビ番組

祖父は

・水戸黄門

・笑点

・天気予報

・相撲

祖母は

・渡る世間は鬼ばかり

・新婚さんいらっしゃい

・志村どうぶつ園

・昼ドラ

などを好んで観ていた。

食べ物

基本的にご飯はベチョベチョだ。

焼き魚や、漬物、刺身などを好む。

お菓子はせんべいやカステラ、カントリーマアムなど。

冬には石油ストーブの上にサツマイモを乗せて焼き芋を食べた。

3世帯家族で問題になるのは、この食生活の違いが多い。

ベチョベチョのご飯は不味いし、硬いものを食べない食生活のせいで顎の発達が弱く、歯並びが悪くなった。

ハンバーグやグラタンなど、洋食は年寄りが食べないため、世代別にメニューを変える必要もあった。

それでも手作りの和食、祖父が畑で育てた野菜、天然の湧き水で育ったことはとても良かったと思う。

まとめ

年寄りは社会の枠組みから半分外れている。

それゆえ自由に見えたのだ。

年寄りの時間は分刻みではなく、自然と一体化していて、年金という一定の金額を受け取りながら基本的に好きなことをして生きている。

しかし、畑仕事や、家事など、金銭的報酬はない仕事をして大いに家族に貢献している。

この年寄りの生き方や生活は、これからの時代に合っているように思える。

そもそも人生を、子供、大人、老人という3ステージに分けたのは企業だ、産業革命だ。

機会の効率化に人間は、自然な時間の流れを奪われた。

物質的豊かさを得て、これからは人生観の豊かさを取り戻す時期にきている。

これから3ステージ型の人生観が崩れた時、私たちは年齢や肩書きなどの区別がなくなった世界で「1人の人間」として生きる。

その時、勉強とは「良い大学に入るための試験」ではなく「自然と対峙すること」になる。

社会の枠組みから外れて、ただ自然の中で豊かな時間と共に生きる年寄りのように。