「生きている意味がわからない」
これは誰もが一度は考えてしまう問題ではないだろうか。
私自身も、もう何度もそれを考えては答えを見つけられず、うつ状態になっていた。
それもそのはず、「生きている意味」について考え続けた哲学者、文学者でさえ、それを見つけることは出来なかったのだから。
もくじ
名言集
「私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない」(夏目漱石)
天才作家、芥川龍之介は、自殺直前の自伝的小説で、長男の誕生をこのように言っています。
「なんのためにこいつも生まれて来たのだろう?この娑婆苦の充ち満ちた世界へ」(芥川龍之介)
「生まれて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。(中略)
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです」(太宰治)
「人間は何の目的で生まれたのか。
また何か目的があって自然は人間を生まれるようにしたのか。
僕にはそれはわからない」(『人生論』武者小路実篤)
「人生に目的はあるのか。私は、ないと思う。
何十年も考えつづけてきた末に、そう思うようになった」
(『人生の目的』五木寛之)
「自分の生存の意義や目的を知ろうとしたって、
なんにも教えられはしません」(チェーホフ)
勝手に与えられて、勝手に奪われる
人生はいつも先のことがわからない。
こんな人と出会いたいから、この環境を選ぶっていう生き方はしたことがないし、実際友達になろうと思ってなった人はいない。
ただ勝手に近くにいて、そして気づいたら離れ離れになっている。
本当に人生は一期一会だと思うから、近くで笑い合える人がいる時はかけがえのない幸せを感じる。
神様からプレゼントを貰ってるような気持ちだ。
だけど一方で、圧倒的に孤独になる時もある。
それは自然に人が離れていく時期であって、どうにもこうにも誰にも出会えない状況だ。
そういう時は過去の友達とはどうにも一緒にいられない。
自然の流れに引き裂かれるような感覚だ。
そして強制的一人ぼっちの時期が長ければ2年ほど続く。
その間は自分と向き合ったり、本を読んだり、とにかく一人ぼっちになる。
本当に辛い時期だ。
自分はもう二度と笑えないのではないかとすら思う。
真っ暗で何も見えない、何も進まない、真空空間にいるような、苦しさがある。
だけどそれを超えると、ある日突然光が見えて物事がガチャガチャと騒がしく動き始める。
そして未知の世界が広がっていて、自由に走り回る。
そんな繰り返しがあるような気がする。
人生で選べるものなんてあるのだろうか
だから自分はとかく人生に対して受け身の姿勢を持っている。
自分が選べることなんてないと思う。
恵まれればありがたく受け取り、奪われればただそれを受け入れる。
これは信仰なのだろうか?
この、人生のリズムは自然のリズムなのだと思う。
だから自分が操られていると感じ、身を任せるのは自然の流れだ。
太陽を動かし、海を怒らせ、雨を降らせる者。
その気配をいつも感じる。
「悲しみは海と似ています。波のように寄せては返す。時にはとても平穏だけど、たまに激しくなってしまう。私たちにできることは、泳げるようになること」
この諺の通り、私たち人間にできることは、せいぜい泳ぎを覚えて泳ぎ続けることだけだと思う。